異なる趣味の人とふかーい話をすること

金曜日は忘年会でして、
会社で一緒に働いている人と色々会話してきましたとさ。


特に次から次へと話が膨らんでいったのが、
映像(こっちは仕事柄だけど)、釣りを趣味とする人との会話。
んでもって、こっちは音楽やオーディオや自転車などの話題。
全然趣味も違うんだけど、話が合うのに驚いたり、納得させられたり。

趣味は違っても、本質は同じ

これに尽きる。以前も、自分と違う趣味を持つ人と話しをするのが好きだし、
興味深いということを書いたかもしれないけど、
趣味って目指すべきところというか面白味を感じるところが
似通っているんだなぁと今更ながら思う。
その人との議論でお互いに意見が一致したのは、

  • 趣味というのは、微妙な違いを楽しむもの
  • 微妙な違いがわかるということは、自分の中に明確な感覚(基準)をもっているということ
  • いつも同じことを繰り返していると、感覚が鈍る
  • だから刺激を受けるために様々な趣味、様々な現代の技術に触れること


などである。この他にも色々話したが、突き詰めて言うと、そういうこと。

オーディオを具体例に挙げると・・・

僕の場合はオーディオが趣味であるわけだが、
オーディオってのは自分が「こうあるべき」という音の方向性を探りながら
メディアから最高の音質を引き出して目一杯音楽を味わってやろうという趣味である、と思う。
しかし、音の違いといってもまず

  • 何でもいい、というわけではなく、ある程度の質を確保している

必要がある。端的に言えば高いレベルでの微妙な音の違いを楽しむのである。
ではどうやって評価するのか? 自分は大まかであるが

  • ピアノの質感、響き、タッチ
  • ヴァイオリンの質感、弦の擦れる感触
  • ヴォーカルの声の質感・実在感
  • 反応がよく膨らまない重みのある低域
  • 色彩感の豊かさ
  • 音場の広さ・定位

などに無意識に気を配りながら聴いている。
これらの項目の中には自分の中である一定の基準があり、そこからの差異を評価するのである。
自分の好みの方向に近いか、異なっているか、あるいはまた違う魅力があるか・・・など。


しかしながら毎日自宅で音楽を聴いていると、耳が慣れてしまって
今以上のレベルを追求しなくなる傾向があるのも事実である。
そこで僕は忙しくても毎年ハイエンド・オーディオショウに顔を出すのである。
耳をリセットさせる(この表現は同意を得た)ためにも。
自分の感じているレベルと、最高レベルの音質に大きな差がないか、
自分の感覚が適正に保たれているか、確かめる絶好の機会なのだ。


最後に、もう一つ結論。

  • 一つ深い趣味を持っている人は、他の趣味の感覚が理解できる


――そして趣味は感性を育てる。それは間違いない。