もういい加減ファッションエコはやめにしたい

究極のエコとは、

人類が存在しないこと

に尽きると思う。

でもそれなら人間は皆死んでしまった方がよいことになるけど、実際地球にしてみれば人間が活動しようがどうしようが別段気にもならないだろう。特に地球が破壊されるわけでもないだろうし。気候が変動しようがお構いなし。隕石が落ちようが地球は壊れないし。変わるのは、結局そこに生きる生物だけ。となると、「地球を守ろう」なんてキャッチフレーズは単なる偽善かモーションに過ぎない。実際は「人類を守ろう」であり、地球を守ろうという聞こえのいいフレーズを利用しようとする人たちのものでしかない。


こんなことを言うと、「じゃあ地球が温暖化するのを黙って見ていろというの?」などと責められそうだが、理論的に正しいことと、それを実際にできることは違うとしかいいようがない。まあ仮に温暖化(そもそも温暖化しているのか?という疑問もあるが)の主要因が石油を燃やして出るものだとしても、日本だけがやっきになって頑張ったところでその貢献度はたかが知れている。数学でも習ったと思うが、無限小はいくら足しても無限小のままであり、有限の値にするには無限に足すしかない。チリも積もれば・・・は、感情的には成立するが、論理的には成立しないと考える。企業がエコと称して行っているのは、基本は経費削減のためであってエコではない。電機業界は民間ではあるがインフラ事業のため、電気を多く使われるぶんには嬉しいが、多少減ったところでそれほど問題はないのではないか。むしろ石油をつかわず経済活動を行わずの方が国力減退につながると思う。エコを重要視するのはよいが、他の国が積極的に取り組んでいないのに日本ばかりが国力を落としてまでエコを推進する必要があるのだろうかと思う。しかもCO2削減のため大量の税金まで投入されているのだから。もちろん民間企業はエコのことなど(見栄と経費削減以外の要素で)微塵も考慮していないはずである。もし真剣にエコを志すなら、モノを作らないのが一番だからである。でも企業として利益を出さないといけないので当然モノは作る。そこが矛盾するようではあるが、国力の減退を避けることもある意味強引な人為による環境破壊を招くおそれもあるので、矛盾ではないのかも知れない。結局「できる範囲でのエコ」となるわけだがそれならもうタテマエなど廃してもっと重要なことに税金を使えばいいのに。民間人も、結局電気代をケチったりするために「エコ」を実践しているのであろう。もし真剣にエコを志すなら自動車には乗れないはずだし、自転車に乗るべきだと思う。公共交通機関を最大限活用するようにするだろうし、地方も公共交通機関の充実に予算を投資するだろう。でも実際には「田舎は車がないと大変だから・・・」の一点張り。エコなんて結局誰も真剣に考えていないのである。自分がやってないのに当然他人には勧められないよね。でもそれを平気でやっている人も多いんだろう。


ちなみに、色々調べた&個人的な感覚で言うと、

  • エコバッグとレジ袋削減
  • マイ箸
  • 都会が暑いのは地球温暖化のせい

というのは、到底納得がいかない。特にマイ箸なんてのは愚の骨頂であり、割り箸は積極的に使ってあげるべきである。通常割り箸は林業の中で出てくる「間伐材」を使用しているはずであり、逆に環境志向ということで必要な間伐すら「悪」だととらえかねられず、外国からの輸入材で割り箸を作るケースもあると聞く。むしろそっちの法が悪い。また都会が暑いのだって、ヒートアイランド現象が主要因のはず。「エコ」という大義名分のもとに逆に環境が破壊されるケースがあるということをもっと知って欲しいと感じる。木材の件については、日本の林業の現状を調べてみると分かる。リサイクルなども利権がからんでいる雰囲気がするし、実際どのくらい環境へ貢献しているのかよくわからない。


環境問題への対応は賛否両論ある。でも圧倒的に「正義」とする意見が多い。でもその正義は本当に正義なのか? 利権のためではないか? 見栄やタテマエではないか? そのへんは個人でよくよく考えてみる必要があるだろう。そしてもっと重要な石油に代わる「代替エネルギー」についてももっと真剣に考えるべきだと思う。電気自動車にしても、その電気は石油を燃やして作るのだ。とうもろこしから作るバイオエタノールについても、そのとうもろこしを作るのに石油を使っているのではないか、さらにバイオエタノールを作る過程においても石油を使っているのでは、などに目を向けると、本質的に「環境のため、ではなく人類存続のため」に活動するということがどういうことなのかが分かるに違いない。


いずれにしてもファッションエコキャンペーンにはもう飽きた。もうそろそろ目を覚まして別の動きが出てきてもいいと思う。