音楽を取り巻く環境(1)

さて、久々に長々としたシリーズものを書いていきます。
今までの僕の音楽観を「すべて」公開したい、というのが僕の狙いです。
音楽に関心のある人、ない人みんなが興味を持って読める内容かどうかは
わかりませんが・・・きっと何か感じるものがあるでしょう。

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現代は、かつてないほど「音楽大量生産・大量消費時代」かもしれない。ウェブによる音楽配信もそれを助長したのだろうが、その大元にあるのは、多くの人に音楽を聴いてもらいたい、と日々重ねてきたオーディオメーカー、レコード会社の努力である。


しかしながら、皮肉にもそれは音楽の価値、音楽を聴くことの重要性を薄れさせてしまっている感がある。今や現代人は忙しい。色々な娯楽がある中で、音楽だけを聴く時間なんて取れないのだろう。じっくり味わうなんて過去の趣味で、音楽を聴きながら別のことをするなんて当たり前で、暇だから音楽を聴く、という雰囲気すらある。もちろん好きな人には怒られるだろうが、「音楽のみを楽しむ時間を作っていますか」と聞くと、ほとんどの人はノーと答えるだろう。音楽鑑賞というのはその程度のレベルになってしまっているのである。


趣味の欄に「音楽鑑賞」と自信を持って書けますか、などとどこかで書いた記憶があるが、もはや片手間に聴く音楽は鑑賞ではない。単なる娯楽である。

レコードの大衆化

一般的にはアナログ・ディスクはレコードと言われているが、レコードとは本来記録物の意味で、別にアナログのみを指すのではない。今でも、音楽を録音しメディアを制作する会社は「レコード会社」と呼ばれていたり、タワーレコードなどのショップが存在することから妥当な定義である。


昔はレコードは高価な物で、音楽を家庭で楽しむことができた人は必ずしも多くなかった。そのせいか音楽を聴くことに対しても「趣味性」があった。ところが、CDが普及し、簡易で安価なオーディオ機器が販売され、かつウォークマンなどの携帯プレーヤーが登場することで一気にレコードは大衆化された。そしてもはやパッケージメディアすらないインターネット配信による音源が登場し、いつでもどこでも誰でも音楽を聴ける仕組みは完全に整ったといっていい。利便性に関してはまだ進展の余地が残されているが、単に「音楽を聴く」という視点で考えると、もう十分すぎるほどのプラットフォームは用意されている。

音楽鑑賞の価値

とすれば、みんな音楽を聴けるようになって、音楽を聴くことへの関心・興味が高まったのかというと、実際はそれほどでもないように感じる。むしろ、低下しているのではないだろうか。一般の人々の関心は「音楽を鑑賞すること」そのものではなく、ある歌手・演奏家がつくる音楽を聴くこと、つまりハードではなくほとんどソフトである。昔はハードが比較的高価であったことから、自然にハードへの関心があった。だが、今は(普通は)ないだろう。せいぜい、「私、iPod nano買ったのよ」程度の商品レベルの話でしかない。


ある意味では、これは理想的な音楽の聴き方であるともいえるのかもしれない。もはや音楽を聴くのにハードを意識することなく、純粋に音楽(ソフト)のみを楽しめるようになった。ただ、そのことによる弊害も生じている。それは、量の問題でなく、質の問題である。


(つづく)