音楽を取り巻く環境(2)

生演奏とレコード

 冒頭で書いた「音楽のみを楽しむ時間」を私は持ってます、と言う人がいるとすれば、それはおそらく生演奏(ライブ)である。やっぱり音楽はライブがいい、ライブが音楽を楽しむ最も最高の手段である、と考える人はきっと多いはずだ。では、CDなどの録音された音源はニセモノであり、単なる生演奏の追体験・記念物に過ぎないのであろうか? もちろんそういう考え方もあろうが、巷に溢れかえっている音楽はほとんど「レコード」であり、音楽を聴く=プレーヤーで再生した音楽を聴く、という暗黙の了解がある現代において、レコードを単なる追体験で終わらせるよりは、それを最大限楽しむことに注力した方が明らかに有益である。
 みながそのことを知ってか知らずか、それぞれ好みのアーティストを見つけ出して、好きな人は暇さえあれば携帯プレーヤーで音楽を楽しんでいる。一見、レコードの価値は認められていて、それを最大限楽しんでいるようにみえる。だが、それは最も規模の大きい「ポピュラー音楽(POPS)」分野に限ってである。音楽というよりは、ポピュラー音楽を楽しんでいる、という状態に近い。

「音質軽視?」の時代

 昔よりもデジタルデータをより大量により高速に処理できるようになったが、そのことで発展したのは、より高音質なメディアやフォーマットを作ることよりもむしろ、圧縮のためのアルゴリズムや利便性であったのは誰もが認めるだろう。もちろんCD-DAの上位であるSACDDVD-Audioも以前に比べれば広く受け入れられるようになったが、それ以上に携帯音楽プレーヤー(フラッシュメモリ・HDD)の普及のスピードが速かった。この事実が示しているのは、携帯音楽プレーヤーではCD以上の音質は特に必要なく、圧縮した音源で十分である、と多くの人が判断したためであろう。ひどく音質が悪かったりすれば気にもなるだろうが、僕自身も実際聴いてみても、まあこんなもんだろうな、という感じであんまり気にならない(自分がよく聴く曲についてはやはり気になるが・・・)。だいいち元の音源がどの程度のレベルなのかわからないし、自分の家のシステムで聴いたことないし、比べようがない。みんなぶっちゃけそんなにいい音を求めてないのだ。なにしろほとんどの音源がポップスであったり電子音楽であったり、あんまりいいシステムで聴いても差がでにくいものが多い。結局、いいオーディオは必要ないのである。声は声っぽく聞こえればいいし、ギターはギターっぽく聞こえればいい。それでもある程度のテクニックや特徴は把握できるから。それで満足できないのがオーディオファンなわけだが・・・
 なお、一応述べておくが、ビットレートの高さやフォーマットの器の大きさというのは、ある程度本格的なオーディオでないとあんまり、というかほとんどわからない程度の差しか出ない。単純に16bitが24bitになったところで、再生機器のほうがそれに対応できないと意味がないし、携帯プレーヤー程度ではどっちでもいいじゃんくらいの違いになってしまう。ちなみに、高音域が延びれば音がいいとか、そういうのも違う。詳しくはまた述べたいと思う。

録音家

 音質をあまり顧みなくなった理由は、先に述べたハードからソフトへの意識の転換などがあるのだろうが、音質を考えるにあたって多くの人に忘れ去られていることがある。それは「録音家」の存在である。
 「録音家」なんて聴いたことない、それは当然であろう。なにせ録音エンジニア・オーディオ評論家の菅野沖彦氏がおそらく最初に言い出した言葉であるから。「写真家」が存在するというのに、同じテクノロジーを使った芸術、オーディオにおいて録音する人にはなぜ「録音家」という呼び名がないのか、と主張しているのである。なにせ、録音する人によって記録される音楽がガラリと変わるのだから・・・。写真だって取る人によって全然違うものになってしまうことくらいわかるだろう。想像力を働かせれば、マイクの置き方一つにしても収録される音は大きく異なるであろうことは十分予想される。そして一般的にはそういった感覚を持っている人は少ない。なぜか? それは、音楽といっても実際はポップスに偏っていたり、そもそもマイクを使わずに打ち込みで録音するケースもしばしばあるからである。
 音楽世界を彩るのは、アーティストのみではない。優れた録音家がいるからこそ、魅力を損なうことなく最大限に発揮することができるのである。誰が録音したか、どのレーベルか、というのはジャズやクラシック愛好家にとっては大きな問題なのだ。確かに各々違った音が存在するのだから。残念なことに、ポップスにおいては本人がかなり意識していないとよさを殺してしまう可能性が高い。音響効果には凝っているのかもしれないが、質、例えばバイオリンの弓が弦を擦る感触であるとか、ピアノのタッチや複雑微妙な響きを堪能するには程遠いような録音が散見されるのは残念なことである。そんな録音を聴くといつも思う。「もっといい音で録れるのに・・・」


(つづく)