音楽鑑賞に関する雑感(4)


僕は、いい音といい音楽を常に求めている。
それは、オーディオは音楽に感動することが目的であり、
それ以上でもそれ以下でもないから。


とはいえ、世間とのギャップを感じざるをえないのも事実です。
どう考えても世間のスタンダードと僕のスタンダードはかけ離れていて、
自分ほどのクォリティを音楽再生に求める人はまれでしょう。
そのまれな人も、イベントを開催すればそこそこ集まってはいますが、
そもそもそのイベント自体がマニアックであります。
つまり僕は一般的にはマニアックな人に分類されているはず。
でもマニアの人たちは「自分たちのやり方が正しい! 世間こそ間違っている!」という主張を曲げたくないもの。
僕だってそうです。
むしろ「なんでこんな楽しい世界があるのに、みんな知らないんだろう」と不思議に思うくらいです。
でも、今まで色々な人に接してきましたが、
何か一つでも、非凡で打ち込めるものを持っている人は、むやみやたらに人の趣味は否定しないものです。
へぇ、そんな世界があるんだ、と逆に興味を持ってくれる人もいます。
自分もやってみようというところまで来る人はほとんどいませんが、それでも自分が熱心にやっていることをお互いに語り合うのは楽しい。


ところで、オーディオを専業でやっていないメーカーは、やっぱり大変なのだろうなと思う一方、
ピュアオーディオから自ら撤退するような販売戦略をやったのだから自業自得かなという思いもあります。
例えば、ソニーピュアオーディオをやるのは並大抵のことではないのでしょうか。
というのも「ポータブルの圧縮音源オーディオプレーヤー」も同時に作っているため、
メーカーとしては結局どっちを推進したいのかよくわからなくなるからです。
メーカーが「ピュアオーディオも重視する」という会社方針を打ち出しているのであればまだやりやすいけど、
ピュアオーディオの事業自体が小さく利幅も少ないため社内ではあまり立場は強くないのではないでしょうか。
僕がもし自分の会社・自分の部署でそれをやろうと思うと・・・一筋縄ではいかないように思います。むしろ不可能にすら感じます。
お客さんがそんなものを求めていないというより、どちらかというと会社が音質を重視しているとは思えないから。
製品自体がそういう目的でないのかもしれないですが、一応「オーディオメーカー」と世間には名乗っているのですから全社方針として音質の確保はしたいところ。
でも実際は難しいです。コストダウンに次ぐコストダウン、信頼性、EMC・・・どこに「オーディオ」を作る余地があると・・・
いっそのことなにも考えられなければ楽なのに。
僕はある程度頭が回るせいか先のこと、懸念されることをいろいろ考えてしまい思い切った行動に出られません。
(一般的にはそれを「ヘタレ」というのかもしれないですね・・・)


なんだかここのところ、世間や社会や会社のしがらみがわずらわしくて仕方なく、愚痴っぽくなってしまいますが
なぜこんなに「実益」をなくしてしまうのだろうか?
音質のための技術がいつの間にか利便性のみにしか用いられなくなって形骸化してしまったオーディオ、
環境問題ではリサイクル利権のためのリサイクル、経費削減のためと言えない「昼休憩消灯」「クーラー設定温度28℃」
分別して意味があるのかどうかよくわからない「ごみ捨て専用袋」・・・
挙げればキリがないのでやめますが。。。


最近は自動化が進み、苦労すること、使いこなすこと、工夫する愉しみがすっかりなくなってしまった。
逆にそれが「趣味」の「娯楽化」を加速させている。
「趣味」から、純粋に行為のみを取り出していくと、「娯楽」になる。
行為を行うまでのプロセスであるとか、行為そのものに対する自分の想いであるとか、そのへんが非常に重要だと思うのです。
「音楽鑑賞」も、ただ単に音楽を聴く、だけではそれは単なる娯楽か暇つぶしにしかなりません。
演奏家が伝えたい音や解釈、想い、アーティストへの愛情、大事です。
オーディオを使ってレコードから最大限の情報を引き出してやろうとしてもそれが難しいことであることに気づくと、
自然と再生音楽に対する畏敬の念が生まれます。そんな単純なものではないんだな、ということが。
それなくして深い味わいもありません。手軽さから得られるのは、手軽な喜びだけです。
何度も繰り返しになりますが、深い趣味を持っている人と話が合うのは、やはりその根幹が同じであるからでしょう。


そう思っていても世間は手軽さ・便利さを求めている。
自分はそれを作らなければならない。そういった矛盾をかかえながら、自分を押し殺していくのか。
そんなことを思いながらもまた日が暮れる、のです。